プロフィール

ナショナル MSX プロフィール


はじめに、このブログは筆者の実体験に基づき、主観的な要素も含まれていますが、パソコンやパーツの購入時、疑問が浮かんだ時に参考にしていただければ嬉しいです。

11歳の小学5年生でコンピューターの世界に足を踏み入れました。その頃は任天堂の初代ファミリーコンピュータが14,800円で発売され、FAXやインターネット、スマホ、そして消費税もまだ存在していませんでした。原付バイクはヘルメットをかぶらなくても良い時代で、アメリカではホンダ・シビックに積んだ低燃費CVCCエンジンが全米で爆売れし、その後のアコードは日本で3万台売れたところアメリカでは35万台も売れました。テレビはSONYのトリニトロンが絶好調で、コンピューターの世界ではNECが世界を席巻している時代でした。若かりしビル・ゲイツさんのマイクロソフトはNECに追いつこうと必死になり、その頃のアップルはあまり聞いたことがありませんでした。また、インテルはマイクロソフトの付属部品的な存在でした。当時、中国や台湾製のコンピューターはまだ存在しておらず、ソフトバンクはプログラミング本やゲーム攻略本の出版社で、「[ゲーム]ソフトの銀行」という社名の意味深い存在でした。アメリカ留学を終えたばかりの孫正義さんが立ち上げたソフトバンクからMSXのプログラミング(Basic)本を購入したのが、小学生時代の思い出であり、ソフトバンクはその後も社名を変えずに世界に名だたるマンモスカンパニーに成長しました。

高卒直後にアメリカに渡った際、オレゴン州のある町のバーガーキング(BK)での出来事は今でも鮮明に覚えています。白髭の長ーいおじさんに「ここらは車も家電も日本製だらけで、おまえらはエイリアンだ。インベーダーだ」と言われ、当時英語が不得意だったこともあり、ゲームのことを言っているのかと勘違いし笑ってしまいました。しかし、おじさんは本気で怒っているようで、失業者であることがわかりました。その地域には日本がらみの会社や工場が存在せず、HPヒューレットパッカードの工場が唯一の目印でした。バーガーキングの一幕を受け、その場で何があったのかを解明すべく、BKのデカいワッパーを手に車に乗り込みました。日本人が嫌いというわけではなく、ただ失業者であったことが理由だったのです。その経験は忘れられないものとなりました。

小学生時代の友達たちが野球やサッカーで遊んでいる中、私は祖父にねだってファミコンを買ってもらおうとしましたが、代わりに手に入れたのはナショナル(現Panasonic)製のMSXコンピューターでした。これが私のプログラミングの扉を開くこととなり、ファミコンを手に入れることができなかったことが逆に良かったのかもしれません。自分でドンキーコングのパクリ版をプログラミングしたり、親に中古のNECのPC88でテニスゲームをプログラミングするなど、家のパソコンでの遊びが私の日常でした。そして、「パソコン通信」のニフティーサーブが始まり、「アナログ電話にモデム」での接続中の音は今でも懐かしい思い出です。

気が付けば今年でコンピューターに触れ始めてから40年が経ちました。これまでには多くの犠牲、つまり時間とお金を費やしてきましたが、それらは知識と経験という形で返ってきたと感じています。これからもこのブログを通じて、私の経験や知識を共有し、コンピューターの世界で冒険を共に楽しんでいきましょう。どうぞ宜しくお願いします♪

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